今夜、兄貴は会社の同僚達とカラオケにきてる。もちろんおいらも一緒ね。さ すがにおいらはカラオケで歌えないから皆のを聞いてるだけ。
えりいが兄貴に歌を勧める。
「たーざーんっ、何か歌って〜。」
兄貴はでれでれ顔になって、
「おし、森進一の『おふくろさん』を歌うぞぃっ。」
「わぁ〜すてきぃ〜。」
はっきり言って兄貴は音痴である。難聴だから仕方ないよね。兄貴にはそもそ も音程の概念がないらしいし。あ、兄貴の歌が始まった。
「おふくろさんよぉぇ〜、おふくろさんっ〜♪そらをみあげりゃぁ〜、そらぁに
あり〜♪」
ああ〜、こら、ええ歌やなぁ。兄貴の音程はひどいけど、歌はええわ〜。おい
ら、だんだんと泣けてきちゃったい。
「クー、クー、クーッ。」
「ん? フォリィ、どうした?」
「おいら、おっかさんのことを思い出しちゃって・・・。」
兄貴はしばらく考えてから、
「よし、フォリィのおっかさんに逢いに行こう。まずは、札幌へ飛ぶぞ。」
盲導犬の一生は大体こんな感じ。おいらは、札幌の繁殖ボランティアの 家で生まれて、2〜3ヶ月くらいはお母さんや兄弟たちと一緒に過ごしたんだよ。
札幌には飛行機で行く。兄貴の仕事は出張が多く全国を飛び回るから、おいらは この2年間で100回程も飛行機に乗っている。おいらが飛行機に乗る時には兄 貴の足下にいるよ。
CA のきれいなお姉さんがおいらに言う。
「かわいいですね。」
すると兄貴が
「俺がですか?」
それを聞いたCA は苦笑している。
「おりこうさんですね。」
「ええ、俺、とってもおりこうです。」
と相変わらずCA の苦笑を誘っている。
兄貴ぃ、やきもちはみっともないぜぇ
札幌は猛吹雪だ〜。
「なぁ、フォリィ、すごい吹雪だよ。あまえ歩けるか?」
「おいらは吹雪が大好き〜。」
おいらは飛び跳ねながらガンガン歩いたさっ。あれ、兄貴の顔がひきつってるぅ・・・。
「札幌生まれだからかなぁ、それとも犬はみんな吹雪が好きなのかなぁ、『雪やこ
んこ』の歌詞にもそんなフレーズがあったなぁ。」
兄貴はぶつぶつ言ってる。
「さぁ、行くよ、兄貴っ。」
札幌の繁殖ボランティア、竹岡さんご一家がおいらのおっかさんとともに会い にきてくれた。おっかさんは繁殖犬で名前をレナという。生まれたばかりのおい らにはまだ名前はなくて、首輪の色で識別されていたんだ。おいらの首輪は緑色 だったから、さしずめ「みどり君」ってところだね。
「おっかさん、おっかさん、おいら、みどり君だよ。覚えているかい?」
「ああ、あんた、こんなに立派になっちゃって・・・。一人前の盲導犬になれたんだ
ね。あたしゃ、とっても、うれしいぃよ。」
おいらはおっかさんと再会できてすごく感激したさ。兄貴ぃ、連れてきてくれ
てありがとう。
おいらは生まれて3ヶ月たった頃、横浜市鶴見区のパピーウォーカーの室塚家に
預けられたんだ。
「よし、次は育ての親に会いに鶴見へ行くぞ。」
と兄貴は鮭のとばをほおばりながら、北海道の地酒「男山」を飲んでいる。ほん
と、どこに行っても、兄貴はいい気なもんだなぁ。
おいら達が、鶴見駅に到着すると、室塚家のパパ、ママ、お姉ちゃん、お兄ちゃ んが待っていた。おいらにとって、みんなと暮らしたパピー時代は、とても幸せ な日々だったよ。みんなに愛されていたしね。成長したおいらが、人間を信頼し て、穏やかで、人に尽くそうとする気持ちを持てているのは、パピー時代の経験 があるからだよね。
ママは言う。
「まぁ、フォリィ、立派になって・・。」
と涙ぐんでいる。ママはおいらが寂しがる夜とかには、おいらを抱いて寝てくれ
たっけね。
「ママ、おいら、がんばってるからね。」
兄貴、本当にありがとう。おいらこれからもがんばるしっ。
人間だってそうだと思うけど、生き物はみんな上書き学習するからね。厳しい 訓練を受けて、優秀な盲導犬になったとしても、その後、ユーザがちゃんとしな いと、ただのペットになっちゃうのさ。
「おまえの世話は大変なんだよな〜。おしっこやウンチやえさとかは、まぁい いとして、盲導犬としてのおまえの質を維持するために、俺はどんだけ苦労して いることか・・・。」
「兄貴ぃ、おいらの方がもっと苦労してるよ。兄貴なんか酔ったら、おいらのこと なんか、まるで、ほったらかしやんかぁ!」
「う、まぁ、そうやな。じゃ、おあいこということで。」
「まったくぅ・・・。」
おいらの定年は10 歳。犬は人間よりも早く年をとるから、たぶんだけど、兄貴 がまだ元気なうちに、おいらは老犬になって引退する。まだまだ、ずっと先の話 ではあるけど、いつかはその時がやってくるから・・・。
兄貴はそんなことを考えているそぶりは見せないけど、老犬施設や盲導犬の最 期を看取る部屋とかもわざわざ見学したりしているから、ちょっとずつ、心の準 備を始めてるのかもね。
時間を止められたらいいのにね、兄貴・・・。